26/08/2024 05:00
目次
たまに沼ってしまうYoutubeのショート動画。
面白いけれど、夢中で見てしまった後のあの何も残らない感じ。
いつもじわっと後悔する。
私たちは毎日、スマホで大量の情報を目にし続けている。
電車の中、
仕事のお昼休憩、
お店で料理を待つ時間。
夫は子どもの支度を待つほんの数分でも、
すぐにスマホを取り出す。
また、私がキッチンに立てば、
ダイニングでスマホタイムの彼がちょうど目の前にくる。
自分のことは棚にあげて思う。
よーみとんね
(いや、別に悪くはないけど)
そんなスマホ時間はトータルでけっこうな尺になる。
なのに、
受け取ったはずの情報はどこに?
私は何を見ていた?
いつもなんにも覚えていない。
こわっ
それに比べて読書はいい。全然違う。
感情が大きく動く。心に残る。
私はこうして読書ブログを書いているからだろうか、
読んだ本の内容はしっかりと、自分の引き出しに入っている。
いつでも取り出せる。
「ここはあの本を参考にこうしてみよう!」
なんて、
私の選択肢を広げてくれる。
だから対比でよけいに思う。
スマホやショート動画は残らない。
ただ目に通しているだけだ。
大量の情報をみているのになんの収穫もない
ぼんやりそう感じていた私。
それを本書がズバリ言い当てていた。
【「相談事」をつねに用意する】
たとえば手帳に「赤ちゃんのいる人に、なんとなく聞いてみたいこと」といった、漠然とした思いつきをメモしておくと、情報収集の範囲がグッと変わってきます。
ふだんからそうした情報整理ができていることが、仕事をしていくうえで大切です。
その整理の段階を喫茶店でするのです。
喫茶店は、これから起こりうる状況に対してシュミレーションをし、
「情報の海に漁をしに出ていくための網を作る場所」です。
情報の海を網も持たずに、ただ泳いでいるだけの人があまりにも多すぎます。
うわぁぁぁぁ
ぎゃー
(私もだ とか、思った方います?)
そしてなになに、
喫茶店が役に立つのか。
一人で喫茶店に入り、不安をどんどん解体していく作業をする。
「悩み」を「懸案フック(懸案事項)」に変えていくとよいでしょう。
懸案事項とは、心に引っかかっていること、問題となったまま結論が出ずに宙ぶらりんに
ペンディング(保留)されているもののことです。
懸案事項とは、いわば情報に対する「フック」のようなものです。
「懸案フック」といっていいでしょう。
物事を考えるときに、「懸案フック」を設定すると、同じ出来事からいくつもの示唆をうけることができます。
ほっほー!懸案フック!
“悩みは書き出し俯瞰せよ” なんてよく言うし、
私も書いて思考するのは好き。
書くことの効果はもういくつも知っている。
けれど、この効果は気がつかなかった。
書いて懸案フックにするのか。
たくさんのフックがついた自分の網を作っておく。
喫茶店でしこんでおく。
そしてその網をもって、漁にでるのだ。
喫茶店といえば昔、
母がおじいちゃん(私の)とよく行っていた。
一緒に連れて行かれた私はまだ小学生。
大人の話もわからないし、ジュースや甘いものが苦手だったので退屈で仕方がなかった。
小さな子どもなんてみんなそうじゃないだろうか。
それが今、私は喫茶店が大好きだ。
ひとりで行くのも、誰かと行くのも大好きだ。
どうしてだろう。
なんとなく過去を振り返ると、父を思い出した。
父が、喫茶店でモーニング※をするのが好きだと言っていた。
(※モーニングとは朝の時間帯にかぎり、コーヒーの値段でトーストやゆで卵などのおまけがついてくるという喫茶店のサービス)
週末の朝、寝起きで家族みんながリビングにいると、父がたまに言う。
「じゃー、モーニングいきますかっ」
母がOKすると、父はすごく嬉しそうだった。
うちは自営業で、ことばには出さないもののあまり裕福ではないことを分かっていた私は、
家族で朝から喫茶店に行くことにとても 贅沢 を感じていた。
父にとってもそれは同じで、だから、
好きだけどたまにしか行けない特別な場所、時間だったのだろう。
そんな家族モーニングが、私も大学生になる頃には楽しいと感じるようになった。
父や母と話すのが楽しく、ささやかな家族の幸せな時間という感じがした。
あれから今。結婚した私。
こどもは小さく、まだ家族モーニングは難しい。
毎日は家事・育児・仕事でひとり時間なんてないのだけれど、
もし時間がもらえるなら、
絶対に喫茶店にいく。
モーニングに行く。
できるなら毎日、
モーニングに行きたい!
喫茶店のあの、心が整う感じが好きだ。
勉強、仕事、プライベート、
すべてに冷静で前向きな気持ちになる。
著者は本書のあとがきで喫茶店のことをこう書いている。
店に入ると、いまも上京した頃の快適な向上心に身が浸されます
うわぁ
読んでいた電車の中、静かに私のひとみが大きくなる。
喫茶店に感じていた良さはまさにこれだ。
快適な向上心
身が浸される
喫茶店ほど「考える」行為に適した場所はありません。
半ば公共的な場である喫茶店では、過去も未来も捨てることができます。
現在やるべきことに集中し、アイデアを出すことに頭を使う。
図書館に入ると必ず眠くなる私にとって、
図書館は「向かい風二メートル」の逆風が吹く場所です。
ところが喫茶店に入った途端、「追い風三メートル」になります。
追い風のなかで走っているときと同様「俺って、ちょっと速いかも」と思わせてくれる「追い風感覚」が、喫茶店という場所にはあります。
「追い風感覚」とは、なんてうまい表現をするのだろう。
最近転職をした私は前職の有給消化中、
図書館、喫茶店どちらも多く利用した。
次の会社の勉強をしていた。
そこでは明らかに喫茶店の方がはかどった。
喫茶店で勉強した後、毎回思ったっけ。
「私って、頑張ってるわ~」